検事 久賀丞已 〈3on3〉

ガゴン!

リングに当たったボールが派手に跳ね返る。青Tシャツ男子が筋肉質の長い腕を伸ばし、すかさずオフェンスリバウンド。

始関晃穂《しせき あきほ》はキックアウトの素早いパスを受けると、迷わずステップスルーでインサイドをこじ開けた。ゴール前の踏み込み。

ステップの熱量が下肢の筋肉に秒速でぐっと流れ込み、凝縮する。何も聞こえない。見えるのは伸びて来るいっぱいに開いた手とゴールだけ。

同時に飛んだディフェンスをダブルクラッチでかわし――ボースハンドダンク。

ボールをゴールに叩き込んだ瞬間、ぞくぞくっと悪寒が四肢を駆け抜ける。

――飛べる。僕はまだ飛べる。

「ゴチになりまーす」

「スイートポテトドーナツやっぱうめえ! 期間限定と思うと余計うめえ!」

『ゲームの参加料に奢る』という始関の言葉に、汗だくの七人の少年たちは奇声で答えて公園前のコンビニまで疾走すると、ジュースや菓子パンを遠慮なくカゴ二つ分放り込んだ。

そのまま駐車場の片隅を陣取り、戦利品を広げている彼等の横で始関はミネラルウォーターを一気に半分ほど空にして一息吐く。

「そういえば、おでんってもう出てるのか。九月中旬とはいえ日中は暑いのにな。需要があるってことか」

「オッサン、知らないの? 最近は大抵のコンビニはおでん通年販売だぜ」

チームを組んだ青いランニングの少年が「おれ、バイトしてるから」と生意気に口の端を上げる。

「”オッサン”やめろ。始関だ」

「でもさあ、始関サンいきなり乱入してくるとか、やんちゃだよな。オッサンのくせに」

始関は仕事が早く終わると夜の街を愛車でドライブし、気が向いた場所でジョギングをするのが常で、今日は川沿いの団地脇を走っていた。小さな公園を通りがかると、一基のバスケットゴールの下で少年たちが3on3をしているのが目に入り、その場で足を止めた。

ボールがティン、ティンとアスファルトに反響する尖った音を聞いていると、勝手に身体が動いていた。パスをスティールし、気が付けばレイアップシュートが入っていた。

「オッサンやめろ、二度目。いや、仕事柄身体鍛えるようにしてるから。それでも学生時代みたいには何度も飛べないな」

「マジかよー。つうか、宙で止まってるよな。ダブルクラッチとか、超キレいいし。教えてよ。ていうか、仕事なにしてんの?」

「おまわりさん」

ええ、マジかよ、と今度は全員が声を揃えた。始関は首から下げた警察手帳をTシャツの襟から手繰り出し、彼等の疑いの眼差しに向けて見せた。

「うえー、ホントだ」

「ていうか、俺がこれ見ても本物かわかんねえ」

「補導してやろうか? といっても、無駄な仕事が増えるからしないけど。まだ十時前だしな……」

始関がスウェットの腕をまくって時計を見た時、ポケットで携帯電話が鳴った。

――うわー、ヤル気ねえ……。ていうか、おれたちもう大学生だしー。

――それって税金泥棒じゃね?

学生の野次から離れ、画面に光る名前を見た始関の顔に緊張が走る。部下の刑事の一人――篠塚雅季。事件か? いや、彼女は今日非番のはず。

「始関だ。どうした?」

短い会話のあいだに始関の緊張は解けたが、相手の要領を得ない物言いにわだかまりが渦巻く。取り敢えず、部下の要求を承諾し、通話を終える。

「じけんー? 荒川に浮浪者の死体があがった?」

「いや、事件じゃないが野暮用だ。お前らも早く切り上げろよ。本当に補導されるからな」

うぃーす、おつかれーす、という声を背中で聞きながら、始関は数歩行くとふと足を止め、肩越しに振り返った。

「お前らチーム名、あるの?」

「TEAMエス」

「デカい奴ら揃ってか」

「サイズのエスじゃねっす。始めたのが俺とショウ、サキ、センリ、そっちのスワ。全部エスだから」

「簡単だな」

「シンプルっていってほしーな。ってことは始関サンも入れるか」

「考えておく」

顔の横で手を上げ、小走りで駐車した車まで戻った。

アルファロメオ、クアドリフォリオヴェルデが、怪物の赤い目のように闇夜に鈍く光っている。

トランクルームを開け、着ていたスウェットを一度脱いでスポーツバッグの替えのTシャツを頭から被る。

シートに座ると、さっそく雅季から送られてきた住所をナビに入力した。ここから5kmほどの場所だが、彼女の家ではない。――グランド・フィオレ……マンションか?

勤務時間外に部下が上司を呼び出すなどあり得ないケースだが、雅季なら例外を適用してもいいと思ったのは、きっと久々のゲームで気分が昂揚しているせいだと自分に言い聞かせ、車をスタートさせた。

イタリア語で「四葉のクローバー」という意味のガッチガチなスポーツ車は、恋人が「これがいい」と言うから買った。

硬質なシートは慣れると却って楽で、アクセルを踏めば、快感に似た力強い加速感が身体を包み込む。

仕事の疲れをひとときでも忘れさせてくれる相棒だ。

ふと、ハンドルの感触がいつもと違うことに気が付いた。いや、これはボールの感触がまだ手に残っているのだ。

手のひらが痺れるほどの重いパス。闘志と身体のぶつけ合い、微かな動きと視線での騙し合い。

――あいつら、暴れ過ぎ。年寄りをもっと大事にしろっつうの。

move the ball, pass the Ball

short shot, long shot

get Loose, side to side ,you have to deal with match…….

高校時代のバスケクラブコーチの声が耳に甦る。

久々だ。こんなに興奮したのは。

そして、こんなことも久々だ。恋人以外から電話で呼び出されることも。

カーナビの音声が目的地周辺を告げ、案内が終了した。目の先に、暖色のポーチライトに照らされた瀟洒なマンションがある。

周辺も落ち着いた佇まいで、夜道に人通りがなかった。一応、雅季に電話を入れ、到着した旨を知らせると、地下駐車場のゲートを開けるから、来客用のそこへ停めてくれと返って来た。

――彼女は一体ここで何をしているんだ?

まあいい、すぐにわかる。エレベーターに乗り、指定された5階――最上階――を押す。

落ち着いた内装の内廊下をプレートの番号を見ながら奥へ進んだ。5005、5006……ここか。

シルバープレートに印字された名前――5008 久賀――に、始関は「がっかり」と「やっぱり」が、入り交じった溜め息を吐いた。

 

「ああ、どうも」

玄関を開けた久賀丞已《くが じょうい》は愛想もなく、むしろ迷惑顔全開で始関を迎え入れた。その後から、ひょいと電話をして来た張本人、篠塚雅季《しのづか まさき》が顔を覗かせ、黒目がちな大きな目を瞬かせる。

「始関さん、すみません。突然、お疲れのところ……」

「ちょっと、篠塚くん。その新妻ポジション、嫌だな~」

「そ、そんなつもりじゃないんです……」

照れたように顔の前で手を振った雅季は「あっ」と小さく声を上げると、始関に詰め寄り、パーカの胸に触れた。

「このグレー、いい感じですね!」

始関は動じるも無く、雅季に胸を撫で回すがままにさせ、つむじに話しかける。

「え? これ、もうかなり着てるけど」

「ええ、なんかこの色の落ち感が……あっ、すみません!」

「雅季さんのグレーフェチを知って、それ着て来たわけじゃないですよね」

慌てて一歩退いた雅季の肩に、両手を置いた久賀が始関に疑わしげな視線を向けた。

「そんなことまで僕は知りませんよ。ジョギングしてたんだって。ところで、脱いでもいい?」

「えっ!? こ、ここでですか?」

「警視、何考えているんですか」

始関は同時に声を上げた二人の顔の前で人差し指を上げてから、足下を指す。

「じゃ、土足でいいの?」

あ、靴……。と雅季はほっと表情を緩め、「むしろ、そのままお帰りいただいて……」と言いかけた久賀のポロシャツの裾を引っ張った。スーツを脱ぎ、麻のパンツを穿いた彼は異様に端整な顔だちをのぞけば、上背のある普通の青年だった。

「あ、これ。途中、スーパー開いてるところあったから、手ぶらじゃ何かと思って。ジンちゃんに」

始関は手にしていたビニール袋を、ランニングシューズを脱ぐのを待っていた雅季に渡した。

「わあ、小松菜。ありがとうございます!」

「オーガニックじゃなくてごめん。農薬気になるなら、持って帰らなくていいよ。検事にあげれば」

「私なら農薬まみれてていいっていうんですか。それより、ここ、私のうちですから。なんで手みやげ、雅季さんになんですか。それもペットのリクガメに」

廊下の途中で立ち止まった久賀は振り向き、眉をひそめた。

「だって、久賀検事のうちに招待されると思ってなかったし」

「まあ、してませんからねえ」

「久賀さん!」

雅季は久賀に駆け寄り、「ちゃんと、分けてあげますから。ね?」と顔を覗き込んでいる。

二人の後にリビングに入った始関は、ひとまず部屋をぐるりと見回した。磨かれたフローリングの床。部屋の中央に紺色のラグマット、ローテーブルを挟んでテレビとソファ。テーブルの上にはグラスが二つとUNOが乗っていた。モスグリーンのカーテンの向こうはベランダか。

「盛りのついた男の部屋にしては綺麗だね。造りも贅沢だし広いし。2LDK?」

「なにか頭に余計なものが聞こえましたけど、まあ、部屋の中身は頭の中身といいますからね」

「あ、じゃあ結構空っぽってことか」

「無の境地に限りなく近い、って言って欲しいですね」

「またまた。煩悩の塊の部屋だろう?」

「ちょっと! なんで”はくて”持ってるんですか。しかも装着するんですか」

おもむろにスウェットパンツのポケットから早速白手袋を出し、装着する始関に、久賀が慌てて声を上げた。

「え? ふつう携帯してない? 物取りとかじゃないの? だから僕に電話してきたんでしょ?」

「いや、物取りだったらわざわざ始関さんじゃなくて、普通に110番します。雅季さんがどうしてもっていうから」

「え? よくわからないけど、まあ、せっかくだから、やましいものがないか調べて行こう」

「ここにやましいものなんてありませんからっ!」

二人の間に大人しく佇んでいた雅季が、たちまち上気する。

「なんで篠塚くんがそんなに焦るの。じゃあ、寝室からにしようか。どこ?」

「あっ、そっちのドアです」

反射的にさっと指差した雅季に、久賀と始関は顔を同時に向けた。久賀は「ハァー」と長いため息を吐く。

「篠塚くんさ、なんでそう簡単に地雷踏むかな」

「あっ、え、あ……」

久賀と始関を交互に目をやる雅季の隣で、久賀は気まずそうに髪を搔き上げ、始関は「やれやれ」と白手袋を外してスウェットのポケットにしまう。

「まあ、いいや。で、用事って何なの」

「あー、UNOです。UNO二人だとつまらないから、誰か呼ぼうって雅季さんが」

「は? で、なんで僕なの? UNO!? UNOってあのUNO!? サムでも柏木くんでも呼べばいいじゃないか」

「青鞍さんは今日は当直です」

「柏木くんは四十三歳にして先週三人目のお子さんが生まれたので、二人の子供さん連れて奥さんの実家に行ってます」

「ああ、そうなんだ。おめでたい話だね。ご祝儀用意しておこう」

「始関さん、せっかくなので、どうぞこっちに座ってください」

すでに雅季は、「UNO、古い方ですけど……」と言いながらいそいそとローテーブルから箱を取り、ラグの上に座ってカードを切っている。

「何飲みます? 私と雅季さんはビール飲んでますけど。ワイン飲みたかったら開けますよ」

「あー、車だから水でいい」

「水道水でいいんですね」

「ミネラルウォーターくらいあるだろう」

久賀は小さく肩をすくめた後、キッチンへ向かい、始関は雅季の右隣に陣取った。

「あ、始関さん、人の覗いちゃダメですよ……。そうだお祝儀、私も……」

「いいよ、篠塚くんのぶんも乗せておくから」

水のグラスを手に久賀が戻って来ると、始関がふざけて雅季のカードを覗き込もうとしている。

「そんなの、ダメです……」

「気にしないで。大したことじゃないし。上司としてね……」

久賀はテーブルを挟んで向いに胡座をかき、既に配られていたカードを取った。

「雅季さん、やめておきなさい。タダより高いものは無いっていうでしょう。上司だからっていう理由はおかしいでしょう」

雅季に肩を寄せる始関の間に、久賀の鋭い声が割り込んだ。

「うわあ久賀検事、説教してる。僕の部下をいじめないでね。逮捕するよ」

「あなたには一番逮捕されたくないですね。ありもしない余罪とかくっつけられそうですし」

「あの、とりあえず始めましょうか……」

紅一点の雅季がまず親になり、山からカードを捲った。

「久賀検事、ヒップホップなんか聴くんだ。意外だね。これ、誰?」

「Eric B.&Rakimです。あとArrested developmentとか混ざってますけど。 邪魔なら消しますよ。はい、緑の3」

「あー、いい。邪魔じゃない。ていうか、あの無駄にデカいテレビの隣にあるボードってスケボー? 久賀くん、隠し子でもいるの? 息子が忘れて行った?」

「いるわけないでしょう。私物です」

「すごいんですよ。久賀さん。この間スケートパークに行ったんですけど、すいすい滑っちゃって。高いジャンプとかターンとかも……あ、リバースで、始関さんです」

久賀が出しかけたカードを引っ込める。

「雅季さんは、乗ったら自分で少しは動かなきゃだめなんですよ」

「でも、止まらなくなったらどうするんですか」

「二人とも、不健全な会話止めて。はい、僕もリバース」

雅季は「不健全……?」と、首を傾げながら緑の8を重ねた。

「僕は小学校からバスケ一筋だったからな」

「あっ、始関さん高校までアメリカだったんですよね。バスケはやっぱりNBAですか!?」

「よく知ってるねー、篠塚くん」

「それしか知らないんですよね」

「検事、それきつい。今、この数分丸ごとリバースしたいと思ったよね? 思ってるよね? でも、リバースしたところで口から出た言葉は取り消せないしねえ。ていうか、なんかさっきから篠塚くんに冷たくない? あ、もしかして僕と仲良くしてるから嫉妬してるとか?」

「してたら悪いんですか? 始関さんの番ですけど、出さないなら早くカード引いてください。いつまでたっても終わらないじゃないですか」

「えー、僕は一晩中やっててもいいけど」

「いや、なるべく早く帰ってください」

またそんなこと……、と雅季は久賀を軽く睨み、すぐに始関に微笑んだ。

「楽しいんですよね、始関さん」

「え、私にはそんな風に見えませんけど。大体始関さん、いつも能面みたいに表情がないじゃないですか」

「ありますよ。うちのジンちゃんに比べたら」

「カメと比較されてますよ、始関さん」

くすっと久賀が鼻で笑うと、始関は得意げに顎を上げた。

「ジンちゃんは篠塚くんの特別な存在だから、僕も同じレベルってことだよね」

「すごいボジシン……はい、始関さんスキップ。雅季さん、どうぞ」

「え、ちょっと待ってよ。このままなら僕がいい線で上がれたのに。検事ってホント腹黒いよね」

「そんな風に思ってたんですか。じゃあ、今度はドローツートリプルで。ほら、これでお望み通りゲームが長引きましたよ」

「うわ、やだねえ。法律畑の人間は心が狭量で」

一枚、二枚と数えながら緩慢な手つきで始関は山から六枚取り上げる。

「そういう始関警視もT大法学部じゃないですか」

「ちゃんと勉強しなかったから、意味ないよ。あ、でも篠塚くんも法学部か」

「そうですよ。始関さんや久賀さんのようなレベルじゃないですけど。あ、ウノです」

「いやいや、優秀な成績だったじゃないですか。あ、ねえ久賀検事、これ終わったら何か食べさせてよ。僕、走る前何も食べてないんだよね」

久賀はちらっと上目で始関を見たが、投げやりにカードを出しながら言った。

「何がいいんですか? 冷蔵庫にあるもので適当に作りますよ」

「納豆とあんこと不味いもの以外ならなんでもいい。はい、篠塚くんドローツーね」

ああっ、と雅季は情けない声を出し、しぶしぶカードを取る。

「贅沢言うくらいなら、出前でも取ればいいんじゃないですか。自分のうちで」

「納豆美味しいのに。私、ほとんど毎日食べてますよ」

「じゃあ、納豆ご飯にしましょう。はい、ウノです」

「そんな、かわいそうですよ。じゃあ、私が作りましょうか? ご飯があればチャーハンとか……」

「あ、いいね。チャーハン。篠塚くんの手料理かあ」

「雅季さん、ここでは上司も部下もありませんからね。私が作ります」

結局ゲームは久賀が勝ち、負け組に片付けを命じてキッチンへ立った。手際良く材料を調理場に並べて「玉子、ネギ、塩……」と指を差しながら呟く。

「また指差し呼称してる」

後から来た雅季が小さく笑うと、久賀は「あ」と人差し指を見つめた。

「久賀さんの癖なんですよ」

テーブルに着いた始関の反対側から、グラスに水を注いだ雅季は秘密を打ち明けるように囁くと、水のボトルを片手に冷蔵庫を開けた。

「あ、ちくわもありますよ。じゃこも。どちらか入れましょうか」

「両方入れていいよ、篠塚くん。柚子胡椒もあれば……」

「私のちくわとじゃこですから、勝手に許可しないでください。柚子胡椒はありません」

「じゃあ、私ちくわ切ります。冷凍ご飯はレンチンでいいですよね」

「僕も何か手伝おうか」

「始関さん、料理出来るんですか?」

久賀は中華鍋を火にかけ、ボウルに割った玉子を掻き混ぜながら始関に横目を流す。

「パスタを茹でて、レトルトのトマトソースを温めるとか、フリーズドライのみそ汁に熱湯を掛けるとか、炊飯器のスイッチは入れるけど? あ、米は無洗米ね」

「じゃあ、そのまま水飲んでいてください。あ、雅季さん、包丁切れるから気をつけて」

身長差が二十センチはある久賀が雅季に顔を寄せ何かを言うと、雅季が嬉しそうに頷く。仲睦まじく言葉を交わしている後姿は微笑ましい。なにより、職場と百八十度、雰囲気の違う無邪気な雅季が別人のように見えた。久賀の前ではこんなに無防備なのか。

雅季に特に恋愛感情があるわけではないが、二人の姿は始関の男としてのプライドと邪な感情を刺激した。

「でもすごいね、結構本格的に調理器具揃えてるんだ。久我検事は料理も出来るんだから、一生独身でも困らないよね」

久賀と雅季は一瞬会話を途切らせて顔を見合わせると、同時に始関に向いた。

「いい道具はいろいろ面倒な手間が省けますからね。あと、料理が出来るというスキルは、食べてくれる人がいて初めて生かされるんです。自分ひとりだったら私だってまめに料理しませんよ。ていうか、いい加減ここで『検事』って呼ぶのやめてくれませんか。自分の家なのに全くリラックスできないんですけど」

「じゃあ、ジョーイは結婚したいんだ」

久賀は「ちょっと」と、米をほぐしていたお玉を鍋の縁にカンカンと打ち付けた。

「いきなりジョーイって、そうやってハードル踏み倒してこっちに来るってどうなんですか? 質問の答ですが、『したい』ではなく『する』んです。まあ、それは私個人だけの問題じゃないんですけど……」

久賀がちらっと向けた視線が雅季のそれと合うと、雅季は耳まで赤くして下を向き、ちくわを切る手を動かした。

「あ、雅季さん、そんなにちくわいらないんで。ベランダに行って大葉をとって来てくれますか?」

久賀の助け舟に雅季は一つ頷き、リビングを横切ってカーテンの後ろに消えた。それを見送った始関は、水を一口飲んで切り出した。

「まあ老婆心だけど、雅季くん大事にしてよ。彼女、ヘビーな過去背負ってるじゃない。よく見ればわかるけど普段は張りつめすぎて可哀想だ。今日みたいな格好、ベビーピンクのサマーセーターに白のワイドパンツなんて絶対に署じゃ着ないから。黒かグレーか紺ばっかり。もう、あれで心に鎧を着せてるって感じ。それに、あんな隙だらけの顔、絶対に見せない」

「私だからでしょう。彼女、私があの時の、唯一の目撃者だって知ってますから。見てたんです、一部始終を。私が住んでいたマンションから現場が丸見えだったんです。彼女と同じマンションですよ。階は違いましたけど」

仕上げにフライパンを振っていた久賀がちらと肩越しに視線を送ると、始関は目を見開き、すぐに「ああ」と合点が行ったように目を細めた。

「それは知らなかったな。まあ、とにかく篠塚くんは、うちの”とっておき”なんだから、頼むよ」

「その点は、全く心配いりません。それより始関さんはずいぶん過保護だと思いますけどね。雅季さんに」

「そりゃあ、僕なりに大事に育ててるから。あ、好きなものが同じって、僕と久賀くんって意外と相性いいんじゃないかな」

久賀がチャーハンに軽く醤油を垂らすと、たちまち香ばしいかおりが漂う。

「迷惑ですから、それ。大体、始関さんは人を育てられるタイプじゃありませんよ。育てる対象に感情移入している時点でダメですね」

「さすが検事、人を見てるよね。僕ら警察とは正反対。でも残念だなあ。せっかく告白したのに……」

「うまく行ってないんですか、CAの彼女と。今もパリですか」

「久賀検事が心配することじゃないよ。でもさ、久賀くんが彼女の、幼女強姦未遂の過去を知っていることが必ずしも彼女にとって心地いいかって、どうだろう。知らないからこそ今のそのままの彼女を受け止めることが出来るんじゃないの。感傷で繋がってるって、不健康だと思うし、その関係は結構もろいんじゃないかな。まあ、久賀くんが僕くらいの歳になれば、そういうこともわかると思うけど」

「やけに絡みますね。結局、年上ぶって説教ですか……」

火を止めた久賀が、UNOでは憎らしいくらいポーカーフェイスだったそこに初めて苛立ちを露にしたとき、「きゃあ!」と雅季の悲鳴が聞こえた。

せつな、二人は弾かれたようにベランダを目指していた。

「雅季さん!?」

「どうした、篠塚くん!?」

ベランダに飛び出した久賀に、手すりを握り締めていた雅季がしがみついた。足下にはペンライトが落ちている。

「む、虫が」

雅季は久賀の胸に顔を埋めたまま、怖々とプランターの方を指す。

「虫……」

男二人は同時に胸を撫で下ろした。

「血まみれの現場を見慣れている雅季さんが、虫が苦手とは知りませんでした」

久賀は”よしよし”と嬉しそうに雅季の頭を撫で、しゃがみ込んだ始関は大葉が生い茂るプランターにペンライトを当てて、葉を裏返しては念入りに調べた。

「でも、死体はもにょもにょ動かないし……」

「虫からしたら、篠塚くんのほうがずっとデカくて怖いよ」

「始関さん、ひどいです」

「そうですよ。雅季さん160センチないのに。その言葉リバース出来ませんからね」

「うわ、久賀くんて根に持つ人なんだ……」

「なんですか」

「いや、なんでもない……。ああ、これウワバだ。害虫ネット使った方がいいよ。久賀くん、大葉育てるの初めて? アファーム乳剤も虫除けになるけど、食べ物だから農薬はいやだよね。ハダニ対策には毎日霧吹きがいいかな。あ、僕、帰るときこれ持って行くよ」

「持って行ってどうするんですか。始関さん的に大事に育てるんですか」

見えない何かから守るかのように、久賀はさらにしっかり雅季を抱き寄せた。

「いや、外に放してあげようと思って」

「そうですか。それはいい心がけですね。あ、始関さん大葉食べたいだけ取ってください。それで食事が済んだらさっさと帰ってくださいよ」

雅季を解放した久賀は「先に用意してますからね」と、一足先に部屋に戻っていった。

「害虫なのに、放してあげるんですか」

雅季はペンライトを受け取ると後ろから照らしながら、大葉を摘む始関の白い手元をこわごわと覗き込んだ。

「害虫って言うのは人間の都合でしょ。彼等にはちゃんと役割があるんだからさ……」

立ち上がった始関は、雅季に向かって微笑んだ。……つもりだったが、うまく笑えたか定かではなかった。

楽しい時間を過ごしたあとは、自分の中の寂しさに敏感になってしまう。たとえ隠そうとしても、こうして油断した隙に顔を覗かせる。

俺、油断してるのか。

始関が心中で苦笑した時、

「始関さんは、優しすぎます。それって、逆に相手には優しくさせてあげないから、酷だな、って思います」

雅季が静かだが、凛とした声で言った。

「ごめん」

「い、いえ、私の方こそ生意気言っちゃいました……。ごめんなさい。つい、口が滑って」

雅季は慌てて顔の前で手を振った。

「いいんだ。そうやって踏み込んでもらえる方が嬉しい」

始関が見せた笑みに、今度は雅季もつられて微笑んだ。

「あ、」

思い出したように始関は声を上げた。

「そうだ。篠塚くんはTEAMエスに入れるよ」

「TEAMエス?」

雅季は唐突な話に戸惑い、眉尻を下げる。

「ちょっと面白いこと。でも久賀くんは入れないから内緒ね。あの人君のことになるとすぐ熱くなるから」

「ええ? そんなことないですよ。私のほうが好きだから……」

「言うねえ」

雅季が答えの代わりに、はにかんだとき、奥から久賀の声が聞こえてきた。

「あ、早く来いって。いきましょう」

始関は、踵を返した雅季の背中に――それでも、男はいつでも不安なんだよ、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

優しすぎるのは良くないって言われたばかりじゃないか。

get Loose, side to side ,you have to deal with match…….

そうだ。三人いれば、ゲームが出来る。

 

 

 

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投稿者:

takamiyakashio

官能表現含む恋愛小説を創作しています。 王道も好きですが、やや斜めから切り込んだストーリーに日々挑戦中です。 「久保ちはろ」名義でも書くことがあります。